いつかきっと・・・

モラ夫と暮らして早30年過ぎました。
子供2人と暮らす貧乏主婦です。
身体が丈夫じゃないので病院通い。
色々と愚痴ブログです。

あの日

6年前のあの日
私は仕事が休みで家にいた。
PCを見てた


旦那が帰って来てすぐあの地震があった
震度6 マグネチュード7ちょっとだったと思う


いきなり電気が消えてそれっきり
三日間停電だった


娘と息子や実家の両親に
携帯からかけたけど繋がらず
やっと連絡できたのは夜になってからだった


娘も会社で様子見と処理で
帰って来たのは遅かった
息子も何とか無事でほっとした


兎に角寒かった


古い反射式のストーブをつけて
湯たんぽで寒さを凌いだ
古いストーブは臭かったけど
それどころじゃなかった


息子から食べるものがない、と連絡がきた
近所のコンビニやスーパーも棚がからっぽで
三日間カップ麺だけでしんどい、というので
とりあえず家にあった食材と
並んで買ったさとうの御飯とかお弁当を急いで作り
旦那と二人で片道2時間の息子のアパートへいって
置いてきた
仕事でいなかったけど・・



ガソリンスタンドもスーパーも並ばないと買えなくて
娘と二人で寒空の中並んで買った
旦那は寒いといって車の中にいるだけだった
ガススタとか3時間待ちだった


一人2個までのカップ麺とか
うどんは3つまでとか制限があって
その中でいくらでも欲しかったけど・・・


近所のおばあちゃんとか買えなくて
うどんとか納豆とかお豆腐を分けてあげた
未だに感謝されてる


こういう非常事態の時でも
旦那はマイペースで
全然頼りにならなかった


災害とかあっても
きっと自分だけ一人逃げるんだろうなって
この時確信した


娘が飼ってた熱帯魚は停電のために全滅


兎にも寒さ対策で
熱湯をペットボトルに入れてタオルで包んで
それを置いて過ごした


湯たんぽは3個あったけど
可也助かったと思う


停電はしたけど
ガスと水は使えたので
それが一番助かったかもしれない


あれから6年経って
TVで取り上げられてるけど
未だに元の生活に戻れない人も沢山いる


早く元の生活が出来ますように
TVを見ては一人泣いてる


21歳の時にも東北に地震があって
あの時も凄く怖かったけど
またこんな大きいのが来るなんて・・・・


本当に震災は怖い


震災場所で頑張ってる人たちが
幸せになれますように